花と面白きと珍しきと 投稿者: tikani_nemuru_M

(1)

「花と面白きと珍しきと、これ三つは同じ心なり」風姿花伝より

さて、僕は世阿弥のいう「花」を、おっちゃんのいう「個性」に重ねながら、エリクソンの発達段階説と絡めてちょいと試論を展開しますにゃー。
エリクソンについては、ここのリンクを参照ね。

http://nomado.shiraume.ac.jp/ageo/3B.html

風姿花伝の最初の段は、年齢ごとの心得などが記されているにゃんね

七歳(抜粋)
このころの能の稽古、必ずその者の自然としいだすことに、得たる風体あるべし。舞・働きの間、音曲、もしくは怒れることなどにてもあれ、ふとしいださんかかりを、うち任せて、心のままにせさすべし。さのみに、よきあしきとは、教ふべからず。あまりにいたく諌むれば、童は気を失いて、能ものくさくなりたちぬれば、やがて能はとまるなり。

拙訳
このころの能の稽古は、必ず、七歳の子供自身が、やたらに考えをめぐらせることなく演じるしぐさに、生まれつき身についた芸風が見られるはずである。舞やしぐさの中や謡(はいうまでもなく)、あるいは鬼などに見られる、激しい演技の中にあっても、思いがけなく急に演じるしぐさに対して、やたらに口を出さず、本人の思うとおりにさせてやるがよい。(この時期においては)そのようにむやみに「どこがよかった」「あそこが悪かった」と教えてやらないほうが良い。あまりにひどく忠告すると、その子供はやる気を無くして、能に嫌気がさしてきたとなると、そのまま能(の進歩)は止まってしまうのである。

七歳というのは、初等教育の始まる年齢に一致していて、この年齢設定自体興味深いものがありますにゃー。また、この年齢は、フロイトの言う潜伏期(いってしまえば、自分の肉体にのみ向いていた関心が、他者へと向かいはじめる時期ということだにゃー)、エリクソンの言う学童期の始まったころにゃん。
何か体系的なものを身に付けるための基礎訓練は、この時期に始められるということなのでしょうにゃー。

世阿弥の言う「心のままにせさすべし」とは、このトピでいう「素差」の考慮と読めると思いますにゃー。また、「その者の自然としいだすことに、得たる風体あるべし」という記述からは、世阿弥は素差をそれなりに尊重しているとも思えますにゃん。ただ、あくまでこれは「得たる風体」であって「花」ではにゃーのね。
世阿弥は「素差」に「花」を見出してにゃーということなのですにゃー。


2001年2月25日

(2)

十二、三より(抜粋)
まづ、童形なれば、何としたるも幽玄なり。声も立つころなり。二つのたよりあれば、わろきことは隠れ、よきことはいよいよ花めけり。(中略)
さりながら、この花は、まことの花にはあらず。ただ時分の花なり。されば、この時分の稽古、すべてすべてやすきなり。さるほどに一期の能の定めには、なるまじきなり。このころの稽古、やすきところを花に当てて、技をば大事にすべし。

拙訳
まず(この時期は)子供の髪型なので、どんな演技をしても幽玄にみえるのだ。声も引き立つころである。この(姿と声の)二つが力になるから、悪いところは(その影に)隠れ、よいところはますます美しく引き立つようになってくる。(中略)
そうではあるが、(この芸の)花は、真実の(芸の)花ではない。ただ一時的に(観衆をひきつけるがやがて失われる)花なのである。それだから、このころの稽古は、なにもかも無理なくやることである。さて、(この年齢のころに)生涯の芸が決まるというわけではない。このころの稽古は無理なくこなせるところを花として(つまり励みをつけさせて)、技術面をしっかり身につけさせなければならない。

2001年2月25日

(3)

この年齢は、エリクソンの言う学童期の終わりから青年期の始まりに位置するにゃんね。エリクソンはこの時期に獲得すべき社会心理的な目標を「有能感」に置いておりますにゃー。この時期にそれを獲得することは自我形成の上でも非常に重要だし、世阿弥も積極的にこの時期の能を「何としたるも幽玄なり」「よきことはいよいよ花めけり」と賞賛しているにゃんね。
特に「幽玄」「花」というコトバを使っていることは注目すべきことですにゃー。七歳のころの「得たる風体あるべし」とは評価内容が雲泥の差といえますにゃん。エリクソンのいう学童期における「ひとつのことに熱中し、注意力と忍耐によってそれを成し遂げることに喜びを見いだす」という目標が実を結んだ結果、ある意味での完成を見たといえるのではにゃーでしょうか。

さて、この時期の児童の心理については、ユング派の心理学者・河合隼雄氏が興味深いことを言っているにゃん。氏によれば、第二次性徴に続く疾風怒濤の時期は、ある意味では今までの人格がいったん死ぬことにまで例えられる程の大事件であり、これに備えて子供はこの時期にいったん人格的に完成するのではにゃーか、といってるにゃんよ。(出典は忘れたにゃー)
第二次性徴という疾風怒濤の時期を前にいったん完成し、そして本当の死を前にしてニンゲンはもういちど完成に向かうということなのですにゃー。
そして、(247)のリンク先にあるとおり、ユング心理学における発達過程は「個性化」あるいは「個体化」といわれるものでしてにゃー(英語では、Individuation)。

つまり、エリクソンの言う「ひとつのことに熱中し、注意力と忍耐によってそれを成し遂げることに喜びを見いだす」ことに成功し、「有能感」を獲得することができた場合、この時期の子供は「個性」=「花」といいえるものを確かに持ちえるのではにゃーか、ということなのですにゃー。

しばしば善意の、しかも教育現場に実際に携わっていて観察力を有しているものが「個性賛美者」となってしまうのは、この時期の子供を見ているからじゃにゃーかと、僕は勝手に思ったりするのですにゃー。
おっちゃんの、「なぜ「素」を個性というのか」という問いに対する1つの僕なりの解答にゃんね。
特に無能でもにゃー善意の人が、この罠にはまるのもわからにゃーでもにゃーのよ。

しかし、善意の「個性賛美者」にはもてず、世阿弥には持ちえたもの、それが
「さりながら、この花は、まことの花にはあらず。ただ時分の花なり」という表現者としての冷徹な認識なのですにゃー。


2001年2月25日

(4)

十七、八より(抜粋)
このころはまた、あまりの大事にて、稽古多からず。まづ、声変わりぬれば、第一の花失せたり。体も腰高になれば、かかり失せて、過ぎしころの声も盛りに、花やかに、やすかりし時分の移りに、手だてはたと変わりぬれば、気を失ふ。結句、見物衆もをかしげなる気色見えぬれば、恥づかしさと申し、かれこれ、ここにて退屈するなり。このころの稽古には、ただ指をさして人に笑わるるとも、それをば顧みず、内にては、声の届かんずる調子にて、宵・暁の声を使ひ、心中には、願力を起こして、一期の堺ここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず。ここにて捨つれば、そのまま能は止まるべし。

拙訳
この(十七、八歳の)ころは、また、非常に難しい時期なので、(その)稽古(の量は限られているから)は多くはない。まず、声変わりしてしまうから、第一の花(若い魅力)は消えうせている。体も腰高になるから、姿格好(から感じられる)美しさはなくなって、これまでの声も盛りで(姿も)花やかに(何をやっても)容易に(やれた少年の)時分とはすっかり変わってしまうことにより、稽古の方法も急に変わってしまうので、(稽古を)やる気をなくしてしまう。とどのつまり、観客たちも滑稽に思っているらしい様子が見えるので、きまりわるさはもとより、あれもこれもと(悪いことが重なって)ここのところでへこたれてしまうのだ。
このころの稽古は、ただ指をさされて人に笑われても、それを気にすることなく、自分の家での稽古では声の届く範囲の高さで、朝に夕に、それぞれのときにふさわしい発声の練習をし、心の中では神や仏に祈願をかけて、(その加護によって)力を奮い起こして、ここが一生に浮沈の分かれ目だと(覚悟して)、命をかけても能を捨てない(覚悟)以外には、稽古の仕方はあるはずはないのだ。ここで捨ててしまえば、そのまま能の進歩上達は止まってしまうであろう。

2001年2月25日

(5)

いったん得た「花」も失われ、ここでは深刻な危機が訪れているにゃー。
エリクソンの言うところでは「自分についてわからず、自分の社会的価値もわからず、将来の見通しも立たない」という状態にゃんね。世阿弥も「このころはまた、あまりの大事にて」とその深刻さを強調しているにゃん。

巷の素差賛美は、ここのところの視点が決定的に欠けているわけですにゃー。

先に僕は「専門教育においては、いったん「素差」の否定が必要」という意味のことを書いているにゃんが、では誰がそれを行うかというと、ここでは「見物衆もをかしげなる気色見えぬれば」ということになるにゃんよ。「素差」を否定するのは観客であり、つまりは「芸」が「素差」を否定するのですにゃー。
そして、その時にすべきことは「ただ指をさして人に笑わるるとも、それをば顧みず」つまり自らの状態をはっきりと自覚し、そしてさらにそれを顧みず、「内にては、声の届かんずる調子にて、宵・暁の声を使ひ、心中には、願力を起こして、一期の堺ここなりと、生涯にかけて、能を捨てぬよりほかは、稽古あるべからず」つまり覚悟せよ、自己投機せよといっているわけですにゃー。

この段階における社会心理的な獲得目標として、エリクソンが「忠誠」をあげているのは本当に興味深いと思いますにゃん。まさに世阿弥は、能への忠誠が全てだといっているにゃんから・・・・・

素差賛美では、決して「忠誠」の重要さはでてこにゃー。
これはクソみたいな国家主義なんかとはまるで次元の違う問題にゃんよ。
まさに個人が何かを達成しようとすれば
(つまり「花」=個性を獲得しようとするならば)、達成すべき価値に「忠誠」を誓わなければならにゃーということなのですにゃー。

「忠誠」という徳と「素差賛美」とは決して相容れにゃーものだと確認しますにゃー。


てな感じでまだ続きますにゃー

2001年2月25日

(6)

二十四、五
このころ、一期の芸能の定まる初めなり。さるほどに稽古の境なり。声もすでに直り、体も定まる時分なり(中略)よそ目にも、「すは。上手いできたり。」とて、人も目に立つるなり。もと名人などなれども、当座の花に珍しくして、立ち合い勝負にも、一旦勝つ時は、人も思い上げ、主も上手と思ひ染むるなり。これ、かへすがへす、主のため仇なり。これも、まことの花にはあらず。年の盛りと、見る人の一旦の心の珍しき花なり。まことの目利きは見分くべし
(中略)。
されば、時分の花をまことの花と知る心が、真実の花になほ遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷ひて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこのころなり。
下手糞な訳つけるのも面倒になったにゃー

このころはエリクソンの言うところでは「成人初期」の最初の段階ですにゃー。
とはいえ、そろそろエリクソンの発達段階のお話と世阿弥の記述はずれてくるにゃんね。というのも、エリクソンの発達段階説においては、これから異性との関係を築き、社会関係の中で自己実現を図っていくことになりますからにゃー。

いろいろ屁理屈並べて関連付けることもできにゃーこともにゃーけど、このトピの議論とも離れていくんで、エリクソンと無理に関連付けることはやめて、触れられるところで触れていきますにゃん。

男性の身体はだいたいこのころに完成するといっていいでしょうにゃー。
このころは肉体的な条件もあり、ものめずらしいこともあって、昔の名人と勝負をしても勝つこともあるということですにゃー。
しかし、この花も「まことの花」ではなく、時分の花であるということなのですにゃん。

世阿弥はこの時期の慢心を、くどいほどに戒めておりますにゃー。

あと、「初心」という言葉が出てきているところも注目していいでしょうにゃー。
このころに慢心せず、稽古を続けることによって、まことの花を得ることができるということなのですにゃー。

2001年3月07日

(7)

三十四、五
このころの能、盛りの窮めなり。ここにて、この条々を窮め悟りて、堪能になれば、さだめて天下に許され、名望を得べし。もしこの時分に、天下の許されも不足に、名望も思ふほどなくは、いかなる上手なりとも、いまだまことの花を極めぬ為手と知るべし。もし窮めずは、四十より能は下がるべし。それ、後の証拠となるべし。

能は舞であり芝居ですからにゃー、基本的に肉体の業なのね。人生の半ばを過ぎようというあたりで「盛りの窮め」に達してしまうのですにゃー。
注目すべきは、この年齢で窮めておかにゃーと、以降は「下がるべし」といっていることにゃんね。
限定されたジャンルにおける芸術・表現論であるとはいえ、能天気な大器晩成志向を完全粉砕しているにゃんね。

少なくとも、その時その時にすべきことをしないでいたら、大器晩成などおぼつかにゃーってのもあたりまえのことではありますがにゃー。
(ところで、「素差賛美は能天気な大器晩成がお好き」っていうテーゼもありそうな気がするにゃんが)

四十四、五
このころよりは、能の手だて、おほかた変わるべし。たとひ天下に許され、能に得法したりとも、それにつきても、よき脇の為手を持つべし。
(中略)
このころよりは、さのみに細かなる物まねをばすまじきなり。おほかた、似合いたる風体を、やすやすと、骨を折らで、脇の為手に花を持たせて、あひしらひのやうに、少な少なとすべし。たとひ脇の為手なからんにつけても、いよいよ、細かに身を砕く能をばすまじきなり。何としても、よそ目、花なし。もしこのころまで失せざらん花こそ、まことの花にてあるはべけれ。

ここでいう、脇の為手(為手は役者のことね)とは、後継者のことだという説が有力とのことですにゃー。だとすれば、エリクソンの言う生殖性=「親や指導者であることを受け入れ、次世代の指導に関心をもち世話をすることで、社会を前進させて行こうとする」ともバッチリなんですけどにゃー。

「何としても、よそ目、花なし」だそうですからにゃー。容色の衰えはいかんともし難いってことですにゃー。ここでは、年に似合った芸風をこなすことが肝要のようですにゃー

また、このころになっても失せてにゃー花こそが、「まことの花」と言っているにゃんね。
これは後ほど検証しますけどにゃー、世阿弥の言う「花」が単なる技術ではにゃーということは、留意しなきゃならにゃーね。
単なる技術であれば、肉体が衰えると共に失われるはずのものですからにゃー。
(だいたい、室町時代の四十代なんて、今の何歳台に相当するんだろ?
 このころって、平均寿命は50歳台だろ・・・・・・)

しかし、技術と無関係なものでもにゃーということも、また重要なことですにゃん。


2001年3月07日

(8)

五十有余
このころよりは、おほかた、せぬならでは手だてあるまじ。「麒麟も老いては駑馬に劣る」と申すことあり。さりながらまことに得たらん能者であれば、物数はみなみな失せて、善悪見所は少なしとも、花は残るべし。

とりあえず、まことの花を得た能者においては、花はうしなわれにゃーのね。

それにしても、すげーこといってんにゃー。
「おほかた、せぬならでは手だてあるまじ」って、現代語訳すると「何もしないというほかにやり方はあるまい」くらいの意味だにゃー。

この記述は後の「花鏡」にも出てきてましてにゃー。引用すると
「五十有余よりは、せぬならでは、手だてなしなしと言へり。せぬならでは、手だてなきほどの大事を、老後にせむこと、初心にてはなしや」
「拙訳 五十歳をすぎてからは「なにもしないというやり方のほかにやり方はない」と言われる。何もしないというやり方以外には、適当な方法がないほどの困難なことを、老後にすることは初心でなくてなんであろうか」
(ここのとことは、有名な「初心忘るるべからず」のところの記述ですにゃー)

世阿弥に言わせると、そのように自らが死ぬまで初心を忘れず、上達の行き止まりを見せることなくして一生涯を暮らすことが、能の奥義にして秘伝なのだそうですにゃー。
すげーね、ホントに。

エリクソンの言うところの、「知恵」を獲得した人生の円熟期を迎えているのですにゃー。


さて、この後は、世阿弥の言う「花」とは何かを探ってみますにゃー。


2001年3月07日